タイ映画に見る社会と政治の断片

 
盛田茂さん (映画、政治評論家、旅行家)

 次に2002年11月、ロンドンで開催された「第28回タイ映画祭」のパンフレット巻末に掲載された歴代上位ベスト5を見ながら、近年のタイ映画活性化の要因とアジア通貨危機以降のアイデンティティ模索傾向について述べてみたい。
第1位はタイ映画史上空前の興行成績5億バーツを稼ぎ出した「Suriyothai」、第2位は「Bang Rajan」の1・51億バーツ、以下第3位「Nang Nak」の1・5億バーツ、「Killer Tattoo」1・24億バーツ、「Iron Ladies」0・99億バーツへと続く。ここで興味深いのは第1位、第2位が共にアユタヤ王朝時代ミャンマー軍と戦った歴史上の実話に基づき映画化された作品である事だ。特に現王妃の援助を受けタイ陸・海軍が数千人にも及ぶエキストラを提供したと言われる2001年に公開された「Suriyothai」は、16世紀アユタヤ時代にSuriyothai王妃がミャンマー軍の侵攻を防ぐため、その身を挺して騎象戦を挑み英雄的戦死を遂げるという壮大な歴史絵巻である。因みに監督は1942年生まれのChatrichalerm Yukon殿下で、UCLA留学中からの友人であるフランシス・F・コッポラ監督が海外版の制作総括を行った。私はシーナカリンウイロート大学の図書館で「Suriyothai」の2時間に及ぶメーキング版を見たが、その並外れたスペクタクル性と徹底した時代考証に圧倒され、まさに国を挙げて民族のアイデンティティを追及した国策映画であると実感せざるを得なかった。
また2000年のヒット作である「Bang Rajan」は11人の戦士と村人のミャンマー軍との壮烈な戦いを描いた実話の映画化で、タイ国境警備軍の駐屯地でこの作品が国土防衛の観点から上映されたと言われているように、愛国主義高揚を意図した映画である。興行成績では2001年初旬に発生したメーサイ地区の国境紛争が強く影響を与えたと思われる。しかし文化面のアイデンティティ再興という観点から見ると、1997年に発生したアジア通貨危機の影響は余りにも大きい。NESDB(国家経済社会開発委員会)の実質GDP伸び率推移によれば、1951年から96年まで▲になったのは54年のみであったタイにとって、97年の▲1・4%、98年の▲10・5%は「有史以来の不況」を意味し、タイ人のプライドを深く傷つけたに違いない(今でも建設途中で放棄されたビルがその無残な姿を市内に晒している)。99年以降プラスに転じ2003年6・7%になったのを機にIMF資金を2年前倒しで返済したタクシン首相が「二度と国際金融資本の餌食になる事は無い」と高らかに宣言したように、経済復興に伴う「文化面のアイデンティティ再興」が国挙げての重要な政策となった事は充分に考えられる。
一方アジア通貨危機は映画制作の選別化と共に、テレビ、ハリウッドとの競争力強化の面から異業種出身の若手参入を容易にしたというメリットをもたらした。1996年タイ国内の公開本数は国産映画が50本(因みに1990年国産映画は113本)、米映画146本、中国映画(香港が主)86本、インド映画、日本映画がそれぞれ2本という構成だったが、Siam Zone .comの調査によると、1999年以降2001年までタイ映画は年間10本台と低迷したとはいえ、その間新人登場により質的転換が図られた結果2003年度公開映画の人気度ベスト・テンの内7本が国産映画であり、同時に47本にまで製作本数が伸びてきていると発表している。その意味で1999年の「Nang Nak」は同時期に公開された「タイタニック」を凌駕せんとした作品であり、タイ映画界にとって一大転換点となった記念碑的作品だと言えるだろう。ミュージック・ビデオ出身のNontsee Nimitbutr監督は本作が第二作目であるにもかかわらず、タイ人の宗教生活に深く根ざす「ピー(幽霊、精霊)」と呼ばれる精霊信仰を土台にして100年以上も前から語り継がれてきたタイで最も有名な幽霊譚である「Nang Nak」を単なるお化け映画とせず、その夢幻的なまでの洗練された映像美で美しい夫婦の愛情物語に仕上げた。その後彼は1965年香港に生まれ92年タイに移った双子のバン兄弟監督の第一作「Rain」(2000年公開)の制作者となり、「Suriyothai」の撮影に協力、更に2001年タイ製西部劇とも言うべき「怪盗ブラック・タイガー」(監督は「Nang Nak」の脚本家Wisit Sasanatieng)の製作総指揮を取ると同時に、制作会社Film Bangkokの経営者の一人としても活躍している。
他方底抜けに明るい実在のオカマのバレーボール・チームの活躍を描いたカトウーイ(オカマを意味する)映画である2000年公開の「Iron Ladies」(日本でのタイトルは「アタックNOハーフ」)を手掛けたYongyuth Thongkontoon監督はCM業界出身の若手で、同作の撮影、脚本を手がけたJira Makikoolが設立したHub Ho Hin社のメンバーである。なおJira は2001年自ら「[Mekhong Full Moon Party」の監督・脚本を手がけ大ヒットさせている。
CM、ミュージック・ビデオ出身の彼等に共通しているのは、タイ人観客を前提にした映画作りとタイ文化のアイデンティティを重視している事である。この新しい動きを見てタイ政府も映画を今までのような単なる娯楽媒体としてではなく、国威発揚と共に有効な外貨獲得手段として位置付け、BOI(タイ国投資委員会)も参入し輸出促進策及び税制優遇等の諸振興策を一部既に実行し、1930年に制定された今や時代遅れともいうべき「検閲法」のレイティング・システムへの改定を官―民で協議し始めている。
確かにタイ映画は現在大きく変貌を遂げており,海外の配給会社からも注目を浴び国際的評価も高まっている。しかし映画は常に為政者から「民族アイデンティティ」確立のための有効なプロバガンダ手段として政治機能の一端を担わされてきた歴史的事実を忘れてはならない。自由な発想に基づき真摯にタイ映画の芸術性を追及する若手の今後に期待して本稿を終える事としたい。

参考資料
1、 「The Films of ASEAN」 Thailand編 Sman Ngmsnit著  ASEAN Committee on Cultural and Information 2000
2、 「Thai Film Record 2000−2001」 Siwapon Pongsuwant著  The Thai Film Festival London 28th Nov-5th Dec 2002
3、 Bangkok Post  2004,5,21・ 2002,9,2 ・2000,2,18 ・2003,4,19
4、 「ナーンナークの語るもの」津村文彦 アジア経済2002